2002-12-17(火) 「ケシカランというまえに」/如星的茶葉暮らし・神慮の機械への言及/ねこめしにっきへの言及 [長年日記]

「ケシカランというまえに」

僕の心の師匠であるところの森毅師はこのようなことを仰ってる。講談社文庫「居なおり数学のすすめ」昭和62年より。

先日、ある中学校の教室へ入ったら、「みんなで掃除を」というので、こんなことが書いてあった。

掃除をサボった人はその分だけ他人の負担を重くし、それだけ他人の人権を侵害していることになるのです、だって。なんぼなんでも、おおげさすぎるよね。 ずっと前のことだが、ぼくだって、ときに、サボったことがあったろう。いや、たしかに、なかったはずがない。ぼくでない、だれかがサボって、そのぶんをやったこともあったと思う。でも、おたがい、そんなことを、たいして気にはしなかった。

サボる人間が一人もいない学級、サボる人間の存在を許さない学級、そんなものは少しおそろしい気がする。サボったぶんのやつをやったあって、この次に自分がサボるときのためにサボる権利を保有している、くらいのほうがぼくは好きだ。その、サボる機会がなかったって、べつにどうということもない。 だいたいに、学級であれ、一糸乱れず奪略者なく、なんて集団はおそろしい。気持ちにゆとりがなくなり、ブレーキがきかなくなる。

一見は、集団の足を引っ張るような人間が少しはいて、そうして、なろうことなら、そうした人間が入れかわりながら、その全体として集団があるほうが、うまくいくものだ。いつの間にか、だれかがブレーキの役割を果たして、それによって集団にはユトリが生まれる。

少しの人間がサボったところで、気まぐれに熱心な人間がいたりして、集団としてはバランスのとれるものだし、負担にしたって一人平均にすれば小さなものだ。それよりは、サボりはケシカランという、その心の狭さのほうが、集団にとってはずっとマイナスになる。

たしかに、サボった人間がいると、そのぶんの負担がかかってくるには違いない。しかし、サボりの許されない集団になるくらいなら、その負担くらい小さなものだと思う。おれだって、いつかはサボってもよいんだぞと、思っている心のゆとりだけでも、そうした負担をかぶる価値がある。

たとえば、ぼくの今の生活、大学教師の世界だと、なにかの都合で休講の多い教師がいたりして、そのぶんは多少はみんなでカバーせねばならなくなる。 しかし、気楽に休講のできる体制のほうがよいと思うので、そうした負担にあまり文句を言う人間はいない。実際にそうした機会が当面なくとも、いつかは都合で休講したくなるかもしれない。

いったいに、最近どうも、ケシカランと言いすぎるように、ぼくは思うのだ。 だれかが宝くじでもうけても、あいつは働かないで金もうけをしてケシカランとは言うまい。もしもそんなことを言うとしたら、それはヒガミ根性というものだ。運がよかったですね、と気持ちよく祝福してあげるのが、人柄のよさになる。

ケシカランとわめきあう世の中は、ギスギスした世の中になる。そのことは、自分の心をギスギスとしたものにし、生活を楽しみにくくする。それは、なにより自分にとって、とてもソンなことだ。他人からギスギスした人格と思われることもあろうが、それ以上に自分自身の人生にとってソンだ。

ケシカランと言うまえに、集団のゆとりのために、そして自分自身の人生のゆとりのために、こうした損得を考えてみよう。

以上、引用終わり。そして、別のところではまた、熱心なものほど、サボっているものを批判する。「何で俺はこんなに頑張ってるのに、おまえは頑張らないんだ!」と。頑張るのは個人の選択の問題であって、自分が頑張っていることを理由におまえも頑張らなければケシカランと人に頑張ることを要求するのは恥ずべきことだ。とも仰ってる。自戒を込めて。

短信 * 掲示板 * 日記じゃんくしょんへコメント

*

如星的茶葉暮らし・神慮の機械への言及

期末テストが終わったので、仕事が暇で暇でしょうがない上に(サイト作りくらいしろよ、って、今日で仕事納めだからサイトのアップの許可をとる時間がないからしょうがないか)、明日から一時胡桃日誌はお休みするので、今のうちに書き散らしておこうかなと。

ここいらで、漸く僕の理解できる範囲のことを述べられる論者があらわれてきたように思います(いや、今まで全く居なかったというわけではないです。誠意を持って答えていただいたかたも、もちろんいらっしゃいます)。如星的茶葉暮らし・神慮の機械 (2002/12/17)より。

W3Cの勧告する技術仕様に則ったblockquote要素におけるcite属性の記述を行えば、「引用に何の問題もない」かどうかは現時点ではまったく判断できないのでは。それは技術的な仕様に則っただけであり、本当にそれが著作権法第三十二条(引用)及び第四十八条(出所の明示)に合致すると明言する為には、該当する判例が必要になると思われます。第四十八条に定める「利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度」に果たしてcite属性が認められるのか。個人的には認めて欲しいと思いますが、それはあくまで個人的な希望で法的根拠は皆無です。

法的根拠についてはすあまさんがツッコミで法的観点からも、ディベロッパーの観点からも同様な言及がなされています。

作り手は95%のユーザーに引用元情報が見えないことを「知っていて」その方法を選択した、という事実も影響しそうですし。「單に引用文のそばに關係があるのかないのか良くわからないアンカーを置く「一般的」な方式」(闇黒日記平成14年12月14日)が「容易に想起でき、かつ実行も容易」であるのも気になるところ。それらの判断に際しては、文字通り人力で恣意的に(ねこめしにっき)(いやホントは恣意じゃ困るんだが)下されているのですから。

本来であれば、人力でしなくて機械が自動的にしてくれればいいのですが、仕様が実装されない以上、必然的に人力に頼らざるを得ないというのが今の現状だと思います。

個人的には「法的な根拠を得ることは難しそうだから、読み手も仕様も満足する併記がウチのサイトの為にはグッ」

僕自身も、一応今回問題になった仕様についてはなんとか採用しているつもりです。しかし、僕は仕様を満足させるのではなくて、仕様を守りたいという読者を満足させるために変更しました。感情がない仕様を満足させることなんて誰にもできません。人を満足させることしかできないのです(屁理屈)。

もうあちこちでコメントされてるだろうと思いますが、一応ツッコミ。引用に通知義務はありません(だから「引用」って言うんだYO!)。まぁ、ぼやきってことで。フェア云々に関しては主観的な議論なのでパス2。

確かに、引用に通知義務はないと云われればそれまでで、「連絡しろゴルァ!」という態度は妥当ではありませんでした。しかしまあ、同じ日記書きというベースに立っているのですから、開かれた議論がしたいわけで、そのためには、読者が引用元の文章を簡単に問題なく見られ、なおかつ言及された論者も言及されたことに気付くようにできれば、それが理想的なウェブ上での有益な議論をつくる素地になるのではないかと思います。 尤も、議論なんてできるだけ閉じられた場所で行ったほうが、言い訳ができるし、面倒なことにならないので都合が良いとおっしゃるか方がいればそれは残念なことです。

ねこめしにっきへの言及

これだから言葉知らずは駄目ですね。すぐ誤解を招きます。

「あなたのことなんてもう知らない!」って感じの「知らない」です。日本語が出来なくてごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。

ねこめしにっき2002年12月17日「W3Cなんてそもそも知らないし」 より。

cite 属性値を利用するための UI を持たない IE 等の不便ブラウザを使っている大多数の人を救済するためにリンクアンカーを別途用意

して欲しいのです。是非ともそうしてほしい。そうでないと困るんです。不便ブラウザを使っている身としてはね。

引用文近辺にあるアンカーが引用元の明示であるという判断は、人力で恣意的に行っているだけにすぎません。 仕様・規格に沿ってロジカルに示したものと、人為的恣意要素の混じる可能性のある物とでは、いったいどっちが確実な正当性を得られるでしょうか。

人力でできれば人力でいいではないですか。昔は何でも人力でした(笑)。一方で仕様・規格に沿って、いかにロジカルであろうとも、人間の目にふれない(IEでリンク元URLが表示されない)のであれば、正当性なんてどこにあるのでしょうか。そんな人間にとって有用性の無い正当性などと云うものは単なる抽象概念でしかありません。

明文化された仕様に沿ったロジカルな主張を「屁理屈」と言ってポイしてしまったのはどうにもヤバイです。雨あられのように反論が来るにきまってます。それとも、フェアか否かは単に気分の問題でしょうか。ならそれは、 HTML という技術仕様の話ではなく、人づきあいの処世術の話です。

仕様に沿った主張は必ず論理的であるとは、随分と純粋な主張をなさる。これは参考ですが、現実に則さない理屈は屁理屈と云うのです。明文化された仕様のことなど、これっぽっちも問題にはしていません。そんなことは知りません。貴方の言い方になおせが、僕は気分を問題にしてます。人間は必ずしもロジカルな存在ではありません。貴方は大層ロジカルでらっしゃるようですが。当然これは規格の問題ではなくて(まあ規格にIEが対応してればそもそもこんな問題は起こらなかったのだが)人付き合いの話です。だから、フェアなどという言葉を出したのです。

出来損ないのビデオカメラで録った、出来損ないのビデオ映像を、出来損ないの再生装置で見る。これが許容されてるのが Web の世界。ヘンでわないですか。

全くヘンではないです。世の中というのは出来損ないなものをどう運用するかにかかっています。理想郷を追い求める態度をとるのも一つの生き方ですが、人は必ずしも貴方が目指している理想郷を目指しているのではありませんし、それの価値を強要するのはどうかと思います。今ある出来損ないのものでなんとか満足を得ることのほうが大切に思う人もいます。そして、僕はその中の一人です。

誰もが共有できる一定の基準として、 W3C の仕様・規格があるのです。貴方が基準としていようがいまいが、 Web 関連企業の業界団体である W3C が勧告した仕様・規格は、否応なく Web 業界の基準であります。基準に合致している物は利用価値も高く、技術的にそれはとても「良い」事だし「正しい」あり方でもありましょう。

その「誰も」の中には僕は入っていないようです。僕は一体何者なのでしょう。気になるのは「基準に合致している」ゆえに「利用価値が高い」ゆえに「良い・正しい」とされているところです。この三段論法?は「基準に合致している」ゆえに「良い・正しい」とこれまでの論者にない発想で、結構面白いと思います。「利用価値が高い」ゆえに「良い・正しい」は僕も同意できるところですが、「基準に合致している」からといって「利用価値が高い」保証などどこにもありません。云えるなら「基準に合致している」ならば「利用価値が高い」ことが望ましい、そうであったらいいなあ、くらいでしょうか。「基準に合致している」から必ず「利用価値が高い」という信念は一体何処からやってくるのでしょう。僕には皆目見当もつきません。先にも述べましたように、厳格な引用方式があり、それが正しく記述されたとしても、UIが利用しなければ我々にとっては何の意味も無いのではないでしょうか。それでも、人間にとって有益ではない規格があったとしても、それに厳格に従い、固執したいと仰るのであれば、それは個人の価値観の自由の領域です。これ以上僕は口出しはいたしません。

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本日のツッコミ(全38件) [ツッコミを入れる]
# 通りすがり (2002-12-17(火) 15:46)

日記レンタルの無料サービスを使っておきながら宣伝のバナーを張るのはやめなされ。

# su (2002-12-17(火) 15:57)

いずし様。お返事ありがとうございました。<br><br>17日の日記がアップされ始めましたので、こちらで失礼いたします。一日の間にツッコミがたくさん入っていて、びっくりしています。一通り拝読しまして、いくつか疑問に思いましたので、お手数をおかけしますが、以下の質問にお答えいただければ幸いです。お手透きの際で結構です。<br><br>1. W3Cによる標準化されたHTMLの規格をご利用になることに、いずしさんは反対されていますが、では、いずしさん自身はどのようなルールでHTMLを書いていらっしゃるのでしょうか。W3Cの規格を無視しますと、文法チェッカさえ使えませんから、かえって不便ではないかと想像しますが。<br><br>2. また、W3Cが標準化を行ったHTMLよりも、いずしさんの独自ルールのHTMLの方が、普遍的で問題が少ないとお考えでしょうか。誰もが独自ルールを使いだしたら、WWWというシステム自体が成り立たなくなるとは思いませんか。<br><br>2. いずしさんは、ブラウザのシェアの現状に固執していらっしゃるようですが、将来的にIEがヴァージョンアップされたり、また万が一シェアが逆転したりということがあったと仮定しましょう。その場合、すべてのHTMLファイルを書き直すおつもりですか。また、いずしさん自身はすでにIEに欠けている機能があることをご存知のはずですが、別のブラウザをお試しになろうとは思いませんか。<br><br>3. いずしさんは、ご自身のWebサイトの読者をどのように想定していらっしゃいますか。読めない人は読まなくてもよいとお考えですか。仮に検索エンジンで飛んできた人がお使いのブラウザで読めなかったとしたら、それはもったいないことだと思いませんか。

# 素光@憂鬱な昨日に猫キック(略) (2002-12-17(火) 16:01)

>通りすがりさん<br>横レス失礼致します。同じtDiaryユーザーとして気になりましたので、tDiaryの利用規約<http://www.tdiary.net/reg.rhtml>を確認してみましたが、記述は以下の通りでした。<br><br>>また、日記スペース上での商行為はご遠慮ください(※)。<br>>※これは、商品販売や広告掲載等のことをさします。オンライン書店のアフリエイトプログラム程度のことはかまいません。<br><br>なので規約的には特に問題がないかと思われますが、もしかしてこれって「規格の問題ではなくて人付き合いの話」というくだりに絡めてらっしゃいますか?<br>だとしたら私が口を挟むべき事ではなかったですね、ごめんなさい。

# 通りすがり (2002-12-17(火) 16:14)

左上のアクセス解析のバナーは?あれはアフリエイトプログラム程度のことなのでしょうか?明らかに商用利用の宣伝に利用されていると思いますが。

# いずし (2002-12-17(火) 16:16)

su様。<br>1.W3Cの規格に反対はしてません。W3Cの規格を適当ながらおそらく使っていると思います。僕が言及したのは引用方式の規格の有用性だけです。<br>2.WWWというシステム自体が成り立たなくなるような独自の規格ルール等用いません。<br>2?.シェアが逆転したからといって、当サイトはおそらくそんな特殊な記述をしてないと思っていますので文字を追うくらいのことはできるでしょう。よってHTMLは書き直さないと思います。<br>3.先ほどと同じく、そんな特殊な記述をしていないので、文字を追うくらいのことは最低限できると推測しています。

# いずし (2002-12-17(火) 16:27)

通りすがり様。商用利用かどうかにつきましては、僕自身はそうでないと思っていますが、管理者に確認を取っています。興味がおありでしたら、<br>http://www.tdiary.net/cgi-bin/rubbs/support?top=547<br>をご参照ください。

# 素光@憂鬱な昨日に猫キック(略) (2002-12-17(火) 16:57)

>いずしさん、通りすがりさん<br>広告バナー付アクセス解析の件、ただただしさんがご回答下さったようです(めっちゃ早いですね)<br><http://www.tdiary.net/cgi-bin/rubbs/support?top=548>

# いずし (2002-12-17(火) 17:05)

いや、ただただしさん、回答が早いです。というか、わざわざ尋ねるほどのことではなかったので、お手数を取らせて恐縮しました。てーか、そんなの当たり前ですって半ば怒られてます。

# THer (2002-12-17(火) 17:15)

「ケシカランというまえに」ですが、論旨がすり替わっている気がしますよ。もし、これが今の議論に全く関係のない話なら別ですが。

# Akimbo(窪田顕範) (2002-12-17(火) 17:26)

 いや、楽しく拝読しました、本日の二編。<br><br> つまり、「オレが勉強しないのはオレの勝手だ。それをサボリというのは、ゆとりのない社会をめざす道で、恥ずべき事だ。しかし、引用にリンクを張らないのはサボリだ。ケシカラン」ということでしょう。

# 野嵜健秀 (2002-12-17(火) 17:46)

<br>その根據はなんでせうか。「ぼくが使っていると思うから使っているのだ」(バカボンのパパ風)ではないと思ひますが。

# d(l)4 (2002-12-17(火) 18:00)

えーと、森毅師には引用した旨ご連絡したのでしょうか。<br>引用にリンクも張っていないようですが……。<br>森毅師に失礼にはならないのでしょうか。心配です。

# いずし (2002-12-17(火) 18:35)

野嵜健秀様。W3Cの規格に全く則っていないと、そもそもHTMLとして認識されないのではないかとうい素人考えはおかしいでしょうか?

# いずし (2002-12-17(火) 18:37)

別段、この日記は議論のためだけに書いているものではありません。議論と違う記述があったって良いではないですか。しかしながら、その内容を恣意的に議論に結び付けて考えられるのは本意ではないですが、それならそう考えざるを得ないご事情があるのでしょう。僕にはわかりかねますが。

# 大吉 (2002-12-17(火) 18:37)

いやはや。<br>「区別」さんがhttp://mas0721.tdiary.net/20021216.html#c31で指摘しているとおりで、いずしさんが仰っているのはまさしく<br>「マイノリティである視覚障害者を無視してもメジャーなものを使っていれば大多数見られるからいいや…という割り切った差別的な世界」であると私も思います。ごめん被りたいな私は。そんな多数でありさえすればいいやという世界は。<br>IBMのバリアフリーの扉から「Web アクセシビリティ(日本語訳) 」ガイドライン<br>http://www-6.ibm.com/jp/accessibility/guideline/accessweb.html#navskip<br>などご参照下さい。<br><br>いい加減なHTMLをかじって知ったつもりになったり、知識のないままレンタル日記やなんかでウェブサイトを手軽に持ってそれによっていろいろと後で困った目に遭うのは、ひとえに無知ゆえのこともあるのでは?<br>そういうことだってあるのに、知識や技術を知らないままでサイト作るの素敵、とはどうしてもどうしても思えない。<br>それよりも、正しい知識をみなで共有して有意義に使用していく、って世界のほうが私は素敵に思える。HTMLなりWWWの仕組みの教育が受けられたり知識がより得やすくなったり、自学できたりする方向に行くほうが私は良いなと思う。<br><br>本当にそういう知識を学ぶ力がない(障害や病気等々)ひとがいて、でも、Webで何か発信したいという人には、その人に変わって誰かが代わりにサイトを作成・管理してコンテンツはそのひとの文章や絵にするとか、そういうことではいかがでしょう。そういうボランティアを実際にしている人もいるし、もっとそういうことがしやすくなる社会であればいいと思うのですがいかが。<br><br>またはサイトを作らずに掲示板等(ヤフー、2ちゃん、フォーラムetc.)や最近ならWikiやなんかで発言するという手だってあるでしょう。<br><br>自由であるのは、サイトのなかみ。サイトの「デザイン」も自由ですよね。仕様に沿っていても、十分自由に個性的に作れる。…っていってもきっといずしさんはNoというこたえしかでないでしょうね。<br><br>で、えーと、先にもいちど申し上げましたが、私は「(HTML文書で)サイトを作る」話をしているのであって、「Webを使う」話をしているのではありません。正確にお願いしますね。

# いずし (2002-12-17(火) 18:38)

d(l)4様。僕が愛する森師です。その程度のことには寛容であるお方だと信じてますので、ご心配なく。

# 大吉 (2002-12-17(火) 18:44)

ツッコミ日付間違えてしまいました。申し訳ありませんでした。

# いずし (2002-12-17(火) 18:47)

大吉様。「マイノリティである視覚障害者を無視してもメジャーなものを使っていれば大多数見られるからいいや…という割り切った差別的な世界」と仰るのなら、ここで議論されている大吉さんも同罪になってはしまいませんか?もしこのサイトが視覚障害者を無視したサイトであるならば、同時に大吉様もそれに荷担したことになるかと思います。自説を展開されるなら、マイノリティを排除しないバリアフリーなサイトで自説を展開されたほうが良いかと思われます。<br>レンタル日記を使っている人間は困ったことになりますか。レンタル日記の恩恵を受けている僕としてはどういった困った目にあうのか想像がつきません。<br>一方で、正しいHTMLの知識がごく簡単に習得できるようなものであるに越したことがないし、もしその知識がみなで共有できるならばそれに越したことはないと思っている点で同意します。<br>でも、やはり一方で、知識を持たずとも、サイトが運営できるようになることが一番いいことだと思っています。<br>障害や病気等々の人たちのかわりにボランティアでサイトを作ることは、良いことだと思うし、そういうことがスタンダードになる社会になればと思っています。

# いずし (2002-12-17(火) 18:49)

大吉様。続きです。「サイトの「デザイン」も自由ですよね。仕様に沿っていても、十分自由に個性的に作れる。」ことに対して僕はNOとは云いません。そうできるのなら、そうしたらよいのです。

# d(l)4 (2002-12-17(火) 19:34)

>その程度のことには寛容であるお方だと信じてます<br><br>では敬愛される師に倣って、いずし様も引用元の表示方法には、寛容になられるのが、よろしいかと存じますが。

# ちきゅう (2002-12-17(火) 23:26)

<W3Cなんか知ったこっちゃない>という態度は謙虚さに欠けると思う<br><br>一方、現時点ではcite属性を反映しないInternet Explorerがデファクトスタンダードであると分かっているのに<cite属性で明示してあるからこれでいいのだ>という態度は狭量だとも思う<br><br>#Internet Explorerってcite属性は反映しないくせにtitle属性値はポップアップ表示するんだよなぁ……変なの

# いずし (2002-12-18(水) 01:33)

d(l)4 様。寛容であるから師なのであって、僕が寛容であれば師ではありません。それに倣うのはなかなか難しい僕は、申し訳ないですが寛容にはなれません。僕は、失礼であれば小一時間問い詰めたい狭い心の持ち主です。

# いずし (2002-12-18(水) 01:37)

ちきゅう様。謙虚さに欠けるというご指摘は的を得ています。謙虚さは美徳ですが、謙虚でない相手と議論するときに謙虚であっては相手に失礼かと思いますので、わざと謙虚でない対応をしているのです。<br>IEの機能がそもそも問題なのであれば、やはり野嵜様を責めるのは可哀相かも知れませんね。

# 通りすがり (2002-12-18(水) 02:01)

文書の論理構造や仕様云々より整形式ではない段階で問題があると思われますが。<br><br><br>野嵜氏等が言う「正しい」とは後者のこと。<br><br>[大辞林第二版]より抜粋

# すあま (2002-12-18(水) 02:08)

文化庁よる引用における注意事項です。http://www.bunka.go.jp/8/2/VIII-2-C.html<br><br>(注4)引用における注意事項 <br> 他人の著作物を自分の著作物の中に取り込む場合,すなわち引用を行う場合,一般的には,以下の事項に注意しなければなりません。 <br><br>(1)他人の著作物を引用する「必然性」があること。<br>(2)かぎ括弧をつけるなど,「自分の著作物」と「引用部分」とが区別されていること。<br>(3)自分の著作物と引用する著作物との「主従関係」が明確であること(自分の著作物が主体)。<br>(4)「出所の明示」がなされていること。(第48条)<br>   (参照:最判昭和55年3月28日 「パロディー事件」)<br><br>今回の森毅氏の著作の引用では(2)については、本文と引用の段落が分かれているいることからまあセーフ、と云ったところでしょうか?(連絡云々はねえ。あの方、サイトお持ちでしたっけ?) 闇黒日記さんによる最初の引用は、(4)に関わる部分で、デファクトスタンダードであるIEではソースを覗くかマウスポインタを重ねてポップアップを表示させないと引用元が表示されないという点で些か不親切と云った感があります。<br>尤も、幾ら「正しい」と云ってもcite属性のみではねえ…。web構築を生業としていますが、そんなユーザビリティの低いもの、恥ずかしくてクライアントに見せられませんよ。

# ちきゅう (2002-12-18(水) 02:25)

あらら「的を得て」しまいましたか<br><br>引用云々の件で野嵜氏を責めるのは可哀相というか筋違いだと思います<br>Microsoft社を責めるべきでしょうな<br><br>#ところで誰がMicrosoft社を責めるんでしょうね?<br>#IEユーザの大半はそもそもこの件を知らないだろうし、HTMLに詳しい人達はIEを使ってなさそうだしなぁ

# いずし (2002-12-18(水) 02:48)

「的を得る」の誤用の件ですが、まあこちらをご覧になってください。<br>http://www.wafu.ne.jp/~hasep/98/08/01.htm

# いずし (2002-12-18(水) 02:53)

ちきゅうさん。IEの性質を知りながら、わざわざそれを無視したという野嵜さんのやり口を僕は責めていたのですが。まあ、それでいて「僕は規格に合ってるから正しいんだ!」と「倫理」とは全く関係の無い言説を免罪符に態度を改めない人(聞く耳を持たない人)を責めても可哀相だし(きっとご理解いただけないのだし)、僕にも利益がないなあと思っただけです。

# いずし (2002-12-18(水) 02:56)

通りすがりさん。間違いを教えていただいてありがとうございます。暇があったらきちんと対処したいと思います 。<br>しかし、こんなに間違った記述をしていても、UIであるブラウザは寛容だなのに、UIでもない人が寛容じゃないのはなぜなんだろうなあと思いました。機械のほうが人間より柔軟だって面白い事実ですね。

# いずし (2002-12-18(水) 03:02)

すあま様。著作物の引用についての解説ありがとうございました。<br>僕が問題としているのは、「幾ら『正しい』と云ってもcite属性のみではねえ」というまさにその点で、IEにおいては「出所の明示」がされていないのを敢えて知りながら氏が引用なさったことです。

# いずし (2002-12-18(水) 04:01)

通りすがりさん。広告バナーを張るのはどうかだとか、うちのサイトの記述が間違っているとかいうご指摘は非常にありがたいのですが、議論の本筋と全く関係のないことで、かつ僕だけに向けたメッセージであれば、できればメールでお教えいただけると幸いです。議論に関係するご意見だけを読者に紹介したいと思いますので。

# 通りすがった人。 (2002-12-18(水) 04:49)

[HTML4.01仕様書邦訳 2 HTML 4の概説]より抜粋。<br><br>HTMLやその他のW3C仕様書は、W3Cメンバーだけではなく、多くの専門家の方々や、ベンダー(Microsoft, Apple, Netscape, IBM など)の協力によって長い間議論され最終的に勧告されています。<br><br>W3Cは、ベンダーやWebページ著者、ユーザーなど多くの人々の要求を取り入れ、現状の技術レベルに合わせた妥当的な仕様を勧告していると言えます。<br><br>仕様が正式に勧告される段階で、Microsoft はその仕様に了承していることになり、仕様に沿って Internet Explorer を製作しないのは横暴とも言えます。<br><br>仕様に従うか否かは、仕様を知らなくては話になりませんし、議論になり得ません。是非、仕様書を読んでみて下さい。それから論理的な議論を始めるべきです。<br><br>また、文書の妥当性を確かめるのにブラウザ上での表示は基準になり得ません。<br>[HTML4.01仕様書邦訳 附属書 B: パフォーマンス上、実装上、設計上の注意]より抜粋。

# d(l)4 (2002-12-18(水) 06:03)

えーと、引用の問題について整理します。<br>いずし様が要求されていたのは、元々は、「何処で何言われているのか、分からないと腹が立つので、リファラが辿れるように、引用の近くにリンクを張るべきだ」、ってことですよね。<br>それとも、「cite属性に出典を明示しただけでは、Win IE で分からないので、問題だ」、ってことですか? この場合、出典を引用文の近くに明示(リンクは張らず、『胡桃の中の航海日誌より』とか、URI を記述するだけ)すれば納得なのでしょうか?<br>それとも、それとも、引用する場合は、引用元の作者が寛容であるか寛容でないかで、対応を変えるべきだ、ってことでしょうか?

# いずし (2002-12-18(水) 06:31)

通りすがった人。 様。「仕様が正式に勧告される段階で、Microsoft はその仕様に了承していることになり、仕様に沿って Internet Explorer を製作しないのは横暴とも言えます」というのは確かですが、そのIEを使っている人も少なからずいることから、それらの人への配慮というものをウェブを作成されている人は持ってもいいのではないかと云う事です。横暴・横暴と騒いでいるだけではことはどちらにも運びません。<br>仕様に従うか否かということを問題にしてはいません。仕様に従うに越した事はないでしょう。僕が指摘したのはW3Cの仕様すべてではなくて、引用についてのcite属性がIEで認識しないことがあらかじめわかっていながら、urlを記載しなかったことに対する理由が、「仕様に従っていたから問題ない」いうのはいかがなものかと思っただけです。<br>「エラー条件をどのように処理するかはユーザエージェントにより様々なので、HTML文書の著者もユーザも、特定のエラー復元方法に依存してはいけない」とのこと。おっしゃっている事はもっともですし、正しいとは思いますが、それは、「エラー条件をどのように処理するかはユーザエージェント」の問題であって、必ずしもユーザーの責任になるわけではないでしょう。<br>そんなに、その仕様に従わせたいのなら、最初に「ウェブ作成許諾」でも発行すればよいのです。

# いずし (2002-12-18(水) 06:38)

d(l)4様。両方とも要求していました。<br>一方の、「何処で何言われているのか、分からないと腹が立つので、リファラが辿れるように、引用の近くにリンクを張るべきだ」とは間違いで、正確には「どこで何を云われているかは、分からないと腹が立つのでリファラが辿れるようにリンクを張るべきだ」ということです。しかし、これは上記、<br>http://mas0721.tdiary.net/20021217.html#p04<br>で言及しましたように、「引用に通知義務はない」というのが妥当なようです。しかしながら、僕個人の考えとしては、上記に述べましたように開かれた議論をするためには、リンク先(urlと申したらよいのでしょうか)を明記する事が要となると思っています。<br>また、「cite属性に出典を明示しただけでは、Win IE で分からないので、問題だ」ということも主張しています。IEで分からないとは知らなかったというのなら話はわかります。しかし、IEで表示されないと知りながら引用するのは、<br>すあまさんが<br>http://mas0721.tdiary.net/20021217.html#c25<br>で述べられているように、「(4)「出所の明示」がなされていること」が守られているとは到底思えません。結果的に守られていなかったのではなく、確信犯的に守らなかった事を糾弾しているのです。

# d(l)4 (2002-12-18(水) 07:20)

えーと、引用元にはリンクを張らなくても、法的には正しいのは、納得な訳ですね。ただ、開かれた議論をしたいので、明記することが要となると思うということで。これは、URI が明記(引用元が特定できる状態)されてれば好いとお考えなのでしょうか。つまり、a 要素でハイパーリンクになっていない(リファラが辿れない)状態でも良しとするということでしょうか? <br><br>それと、「IEで表示されないと知りながら引用するのは、糾弾されてしかるべきだ (意訳)」ということは、『特定の UA で問題が発生することを知りながら、対処しないのは、WWW にリソースを公開する者として、恥ずべき行為だ』と考えていらっしゃると認識してよろしいのでしょうか?

# いずし (2002-12-18(水) 07:46)

d(l)4さん。ちょっと矛盾した事を書いてしまいましたね。ここのところあまりに沢山の論者の人に対応しているので頭がこんがらかってしまっています。<br>僕の態度は、すあまさんが 、<br>http://mas0721.tdiary.net/20021217.html#c25 <br>で述べられているように、「(4)「出所の明示」がなされていること」が守られているとはいえない。ということです。故に、法的に正しいとは思っていません。<br>「URIが表記されていない」のは法的に問題があるのではないか。<br>「a 要素でハイパーリンクになっていない」のには個人的な感情の問題。というレベルでしょうか。<br>僕が糾弾したいのは、それらの問題がクリアできないで引用したということであって、特定のUIでどんな問題が発生しても須らく糾弾すべしとは思っていません。もちろん、それは糾弾されるべき問題も存在することは否定もしません。もっとも、特定のUIと云ったのであれば、もっとも初期のブラウザから見て、いまのW3Cを遵守しているサイト群はどう見えるのですかね。全然問題ないのでしょうか。これは素朴な疑問です。

# d(l)4 (2002-12-18(水) 09:21)

えーと、個人的な感情は除外するとして、要約すると、「特定の UA で閲覧した際、出典の明示が為されていないように見える引用を用いたリソースは、法的にも正しくないし、そうなることを知っていながら、そういう引用をしたリソースを WWW において公開した人物は、糾弾されてしかるべきだ。但し、そうなることを知らずに行われた行為なら、仕方がないし、他に発生しそうな問題については与り知るところではない。」ということですね。<br><br>ところで、法曹界というのは、判例主義で判例が無い場合はグレーゾーンらしいですが、今後のためにも、ここは一発、いずし様が野嵜氏を訴えてみてはどうでしょうか。法的には白黒はっきりしますでしょうし。駄目ですか。<br><br>扨、初期のブラウザで見て云々ですが、初期のというより、全てのブラウザで見た場合どうなるかなんて、分かりません。というか、WWW において公開されるものは、全てのブラウザで利用できなければならない、などというルールはありません。利用できたらいいな、という希望だけで、利用できない場合も許されると思っています、私は。JPEG 画像を表示できないブラウザがあるから、JPEG 画像を公開してはならないということもありませんし、PNG24 のαチャンネル透過画像を公開してはいけない、なんてこともありません。<br><br>ただ、全てのリソースが、どういう規格・仕様で製作されているかは、明示されていたほうが、利用する側にとって都合が良く幸せになれると思うのです。つまり、このリソースはこういう仕様で製作されていますよ、この仕様をきちんと解釈できる UA で利用されるとよろしいですよ、というような能書きが必要だと思っています。<br><br>そして、HTML により書かれたリソースは、冒頭に文書型宣言があったりします。&lt;!DOCTYPE HTML PUBLIC "ISO/IEC 15445:2000//DTD HTML//EN"&gt;のようなものです。これは、このリソースは ISO/IEC 15445:2000 という規格に従って書かれたものですよ、この規格に従って解釈してくださいという意味で、逆に言えば、この規格を解釈でない UA で見た場合、このリソースを完全に利用するのは不可能かもしれませんよ、ということです。そこで、利用者はそれなりの UA を用意すれば好いわけです。<br><br>その昔 TV において、カラー放送が始まったころ、画面の端に「カラー」などと表示されることがありましたが、これは白黒テレビでは色情報は利用できませんよ、という表示で、色のついた放送が見たければ、カラーテレビで見てくださいね、ということで、まあ、それと似たようなところでしょうか。現代では逆にモノクロ放送の時、「モノクロ」と出たり、「ハイビジョン」なんてのも出たりしますが…。<br><br>文書型宣言も何もない、或いは俺ルールに従って製作されているリソースは、どうやって利用すればいいのか不明なため、ユーザーが戸惑います。折角 WWW において公開されているのに、利用できない悲劇がおきます。そこで、WWW においてリソースを公開する人は、できる限りどういう規格・仕様で製作したかを明示しておいた方が、利用者の幸せに貢献できるというわけです。<br><br>つまり、WWW において公開されるリソースの在り方というのは、全ての UA で利用できるかどうか、ではなくて、どういう UA を利用したら好いのかが分かるリソースであるべきだ、と私は思います。よって、初期のブラウザで問題が発生するとかしないとかは、どうでも好いことなのではないかと思うのです。<br><br>ところで、あらゆる規格・仕様(俺ルールも含めて)をキチンと解釈するミラクル UA が出来れば、最高にハッピーですが、それを作るには規格・仕様が有限でなければならないわけで、そうなると俺ルールは除外されるべきでしょうねえ。<br><br>だらだらと述べましたが、最後にひとつ。WWW においてリソースを公開する人は、現段階ではユーザーではありません。現段階では、どちらかというとディベロッパーということになると思います。ユーザーはサボることに熱心になりがちですが、ディベロッパーは掃除することに熱心であるべきだと、私は思います。


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