昨日のツッコミnackさんですよねえ。で、引用。
うーん、いずしさん、「客観」というものに対して幻想をもっているんじゃないかという印象をもちます。それは、超常現象を支持するひとたちが「科学」というものを否定したがっているようでいて実は「科学」というのに対してぬぐいがたい幻想をもっているのというのと似ている気がします。
まずなによりも、「客観的なものが存在する」と言いきるところに驚きさえ感じます。「存在」ってなんですか? 存在の定義に客観という概念がすでにふくまれているのではないのですか? だから、「客観的なものが存在する」というのはそもそもトートロジーなのでは? そのトートロジーを超えたところに「客観的存在」というものなど無いと思いますよ。「客観」というのはtheoretical constructであって、theoryを超えた存在ではないはずです。つまり、いずしさんがおっしゃっている(と思われる)ような、超理論的な普遍的な概念としての「客観」なんて、もちろん存在しないはずです。また、主観と客観を対立概念だと考えること自体がおかしい。
20世紀なかば以降の認知科学というのはそういう思想の流れにあるものだとぼくは理解しているのですが、どうでしょう。
僕は認知科学の流れというのをあまり知らなくて(心理学徒だった人間としては甚だ情けないことだけれども)、なおかつ主観と客観は対立概念だとなんとなく思っているので、説得力は無いかも知れません。
「客観的なものが存在する」と書いたのは、ある程度それがトートロジーでバカらしい表現だと思いながら書いていたりはしてます。ある意味、皮肉です。だから、「客観」ということを超理論的だとか普遍的だとかは思っていません。一応、そういう前提込みで書きました。
しかし、『「客観」というのはtheoretical constructであって、theoryを超えた存在ではないはずです』というところはなんとなくわかるような、わからないような。理論ががあって初めて概念がある。「客観」というのは一つの概念であるので、ある理論の範疇でしか使えないということでしょうか。
僕が、客観という言葉、主観という言葉そして科学という言葉について深い洞察を持っているかというと残念ながらそうではありません。なんだかわかんないところで混濁しながら書いているというのが確かなことです。
一方で、科学に対する幻想も持っていたのかも知れませんが、それがもろくも崩れ去ってしまったのもまた確かだと思います。
科学や客観、主観についての考え方は、その人の置かれているフィールドによって意味や重みは違うので、一概に論じることは出来ないんじゃないかなとも思っています。
また、例えば、医学の分野なんかではとりあえず効くけど科学的根拠が無いからって一定の有効性(有効性判定には科学の目を使いますが)があれば言って使わずにはいられないという事情と似ているのかも知れません。
僕はいわゆる牛乳を飲むとおなかをこわす人で、乳糖が分解できないのか、油脂に弱いのかわからないでいます。ので、普段はヨーグルトか低脂肪乳しか飲みません。今日、たまたま親が低脂肪乳と間違えて「低温殺菌牛乳」を買ってきました。困ったものだと思いつつ飲んでみるとかなりこれがおいしい。
今まで、脂肪分が4.2だとかそういう牛乳は飲んだことがあるけど、これはなんていうか普段飲んでいる高温殺菌の牛乳とはまったく違う飲み物。すごくクリーミなの。そして甘いの。思わずいきなり三杯も飲み干してしまった。明日おなかこわさないかしら。それだけが心配。
これでミルクティを作ったらどんなけ美味しいやろうなあって思う。今度作ってみよう。
うちで飼っている猫である「ちぃ」は、オスなんだけど去勢しているのです。去勢してからというもの、毎日の縄張りのパトロールもしなくなって、すっかり温厚になってしまって、ある意味かわいそうなのです。
それが昨日、なぜかかなり大喧嘩をしていたようで、前足を引きずって帰ってきました。すぐ治るかなと思っていたのですが、今日見ると昨日よりさらに悪くなっている感じでした。ちょっと心配です。折れていなければいいのですが。
と、このサイトで飼い猫について書いたのは初めてかな。あまり可愛くないし愛想が良くない猫なのであまり書きたいとも思わなかったのですが。
僕のデフォルトの体重は55±5kgなのですが、最近63kgから落ちなくて困ってます。お尻からおなかにかけて脂肪がたまっていて、わき腹あたりなんてちょっと体の感覚が変わってきててちょっと困ります。人生初めてのダイエットをしなければいけないかもしれません。
低インシュリンダイエットって最近はやってるけどなんなのかしら。
| * |
ツッコミご入力の際「お名前」欄によろしければ「ハンドル@サイト名」と表記してください。
即レスしつれい。ぼくの言いたかったことは大体つたわっているように思います。どもどもです。
科学というのはひとつの「パラダイム」のうえに構築された体系なわけで、「客観」というのはそのパラダイムのなかで有効な尺度であるわけです。つまり、パラダイムそのものが転換すれば「客観」の意味あいはまったく異なるものになってしまうわけです。つまり、理論内概念であるわけです。
「パラダイム」がもし複数あったばあい、そのパラダイムどうしを比較する尺度というものは存在しません。なぜなら、比較の尺度というのは同一パラダイム上でのみ有効だからです。パラダイムがシフトするというのは、それゆえ、「革命」でしかありえないわけです。シフトすると異なった世界に一気に転じる。
結局「客観的視点」「客観的尺度」というのはパラダイムに依存しているのであり、パラダイムの外に客観など存在しないということです。