えさこ♪さんのえさ!8/28より。
例えば、アホネカマが見たこと聞いたこと感じたこととゆーのが、アホネカマにとって必ず事実であると完全に証明することは不可能だわん! ...とゆー立場にいるのならん、客観的なんてゆーことはおよそこの世に存在しないわけで、寂しいことですわねん。ぐったり。そういう「どーせ最後は何も分かんないのよ〜ん♪」という寂しさを忘却の彼方に放りなげて(←どわっ!)、誰がやっても同じ結果にみえる(←弱...)ことに対して、それが責任を持っておすすめできる事柄であったら、科学的と呼ぶしかないんじゃないでしょかしらん?もんもん♪
客観性という概念はは一定のフィールドで極めて有効に働いたから、前世紀や今世紀は科学の世紀だったりするのは確かだと思う。とりあえず、客観的なものというのは存在する。そこのフィールドだと「迷わずいけよ、行けばわかるさ」的な発想で突き進むことが出来る。だって客観的なのだから、あとは論理さえ伴えば完全に科学的。
一方で、客観的でなかったり論理的でなかったりすることさえ有効なフィールドもある。例えば、自動車の修理工の人が車のエンジン音を聞いて故障部分を知ったりとか(そんなことがあるかどうかは知らないけど)と、そういう勘みたいなものは、突き詰めていけば客観的・論理的に説明できるかも知れないけれど、気付いた時点では全然客観的でないし、前後論法なんか使うから論理的でもない。でも当たってる。そして、当たっているだけで十分有用なのだ。
そういう世界観はちょっと強引かも知れないけれどあるんじゃないかなって。例えば、人間相手の仕事って経験が大事って言われる。経験が大事だってことは単なる客観的な事実によって積み重ねられた理論では仕事にならないってことを指している。現在進行形でここで対処しなければならない場合、またいまここで行われていることの意味を知りたい場合、客観性とか論理性とか言ってられないこともあるっていうか、もうちょっと第六感とか勘とかっていうのも信じてやりたいというか。
一応、僕たちの脳はかなりよく出来ていて、僕たちが意識している以上に僕らには出来ないようなかたちで高度に客観的で、論理的な演算を行っているかも知れない。そこを意識的に突き詰めると時間がかかりすぎる。とりあえず、いまここで何が考えられるかっていうこと。そして、そういうことが必要なフィールドもあると思っている。
だからと言って、そのフィールドは「迷って行けよ、行ってもわからない」というフィールドなのかも知れない。だから、ある意味答えはない。そして、そういいうフィールドにあるときは、自分や他人の批判を素直に受け入れ、柔軟に事実を再構築できるようにならねばなあとも思う。
カプラッ!って感じでBSで録画しておいたスタートレック「モーションピクチャー」、「カーンの逆襲」、「Mr.スポックを探せ」の三作を連続して見ました。一応、全部見たことがある作品ではあったけれど。スタートレックの作品群で、カーク艦長の時代、についてはテレビ版の「宇宙大作戦」は観たことがなくて映画でしか知らない。
先日のDS9の「ディープスペースナイン奪還作戦」ではギャラクシー級の船が集結して戦闘を繰り広げるシーンはまさに圧倒された。我らがエンタープライズは参戦していたのだろうか。
そうそう、ヴォイジャーが終わったのでもう新シリーズは放送されているだろうなあと思ったら、「エンタープライズ」というシリーズがアメリカでは放送されているよう。またエンタープライズの雄姿が見られると思ったらぞくぞくする。
と、病院に行ったついでに美容院にも行ってきました。就職活動につき坊主をリタイアしちゃいました。やっぱり坊主はだめかなあ。ほかの人の受けもあまりよくなかったし。坊主にしてたのは美容院に行きたくないというのが結構大きな理由としてあったのですが。
何故美容院が嫌かって言うと、自分のして欲しいスタイルが説明できないというのと、美容師さんのうまいへたが判断できないのと、日常会話を交わすのがうざったいというのがあります。
自分のしてほしいおされな髪型を言葉で説明できないのが一番大きいですね。こればっかりは切抜きを持っていくという対処しか出来ないもんねえ。
というわけで、ソフトモヒカンならぬ、ソフト角刈りにされちゃいました。なんだかなあって感じです。
随分前に買ってというか親が買ってきて困った「ほうじ茶」。本当は朝の連ドラ「ほんまもん」で作っていた茶粥が食べたくて買ったのだが、使ったのは一回で、大量に残ってしまってもったいないなあと思っていた。
それが、冷茶にして飲んでみるとかなりいける。それから毎日二リットルのペットボトル一本くらい作りつづけて、ようやく最近茶葉がなくなったのでやっぱり相当の量だったんだろう。それで仕方無しに緑茶の冷茶を作ったらなんか物足りなくて、結局今日ほうじ茶を買ってきてしまった。意外とかなりのほうじ茶ファンになっている自分に気付く。
昨日眠れなかったので、夕方ベッドに横になっていると、上半身を上から押さえつけれらる感覚を一瞬感じ、驚く。金縛りみたいなもの?睡眠不足は良くないね。
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うーん、いずしさん、「客観」というものに対して幻想をもっているんじゃないかという印象をもちます。それは、超常現象を支持するひとたちが「科学」というものを否定したがっているようでいて実は「科学」というのに対してぬぐいがたい幻想をもっているのというのと似ている気がします。
まずなによりも、「客観的なものが存在する」と言いきるところに驚きさえ感じます。「存在」ってなんですか? 存在の定義に客観という概念がすでにふくまれているのではないのですか? だから、「客観的なものが存在する」というのはそもそもトートロジーなのでは? そのトートロジーを超えたところに「客観的存在」というものなど無いと思いますよ。「客観」というのはtheoretical constructであって、theoryを超えた存在ではないはずです。つまり、いずしさんがおっしゃっている(と思われる)ような、超理論的な普遍的な概念としての「客観」なんて、もちろん存在しないはずです。また、主観と客観を対立概念だと考えること自体がおかしい。
20世紀なかば以降の認知科学というのはそういう思想の流れにあるものだとぼくは理解しているのですが、どうでしょう。