この議論は、僕のネガティブな体験の吐露から始まったので、そもそも高遠さんの考えていらっしゃるような議論は成立にくいのではないかと思います。また、僕自身、消火器さんの言葉を借りれば、
私の脳みそではだんだんこんがらがってきてわかんなくなりました
と感じてしまいます。
それでは、どんな議論が可能かというと、主観的・経験的事実に基づく議論なら可能だと僕は(僕なら?)思います。素光さんの、
私の父母は「都会で暮らす田舎者(地方出身者)」です。その子供である私自身は、「都会出身者とは思えないほど垢抜けていなくて、まるで田舎の子供みたい」という言葉を他人から何度か賜った事があります。家族揃って中途半端な立場であり、「都会人」からは「田舎臭い」と言われ、「田舎者」からは「気取ってる」「お高くとまってる」と言われる事がままある、という程度が「私の体験」になるかと思います。
という経験を知って、僕は自分の言説がかなり偏った立場で語られていることに気が付きました。僕の言説に対して(僕にとって)有効な反論となるのは、客観的・科学的事実よりむしろ、その人がまさに感じている(いた)主観的・経験的事実だと思っています。
それをふまえた上でのことですが。
多数者と少数者の社会的立場の強さという観点は、反証する例は幾つかはあるでしょうが、一般的にその強さというのは対照的に存在する、つまり、多数者が社会的に強く少数者が社会的に弱くなりがちだという傾向は事実だと思います。
また、「『田舎者』が『都会人』を揶揄するような局面は、『都会人』が『田舎者』を揶揄する局面に比べると圧倒的に少ない」ということを客観的な事実として証明することは難しいとは思いますが、2chにこいつ本当の田舎者だな〜と思ったとき。なんてスレッドが立っていて、その逆が無いということが一つの証拠を示していると思います。そしてそれに加えてそこでは、
いくら生まれや育ちが都会でも田舎者はいますね。
というような言葉がまかり通っているわけです。
田舎者である僕は都会人の属性を意識的に揶揄しようとなど思ったことが無い(というか揶揄できない)のに、何故、意識的にか無意識的にか田舎者の属性を揶揄する言動を取ることのできる都会人がどうしているんだろうという素朴な日常感覚に僕の問題意識は立脚しています。そしてそれは、僕にとって主観的・経験的事実なのです。
それに対して、都会から田舎に出てきた人が受けるであろう差別や偏見に対しては意識が向かわなかったというところは反省に値しますが。
関西人にとっては東夷という概念がありますが。
悲しいお知らせ。長年探してやっと見つけた使いやすいポットの取っ手の部分が破損してしまいました。どうも欠片をなくしてしまったので、治しようがないみたい。まあ、その部分にテープでも巻いて応急処置をして使えば良いのだけれど。
今日もテンションを上げていく歌を。WinMXでDLしたら実際の曲はSam & Dave - Soul Manだった。この曲も元気が出る曲なんだけど、偽装しなくてもねえ。
この曲は「アリーmyラブ」のリチャード・フィッシュのテーマ曲。というか、彼にとってはセックスソングらしい。3rdシーズンで自信を無くしたマークと一緒に踊っていたのが印象的。携帯の着メロもDLしてみた。
これに、ジョン・ケージのテーマ曲 Barry White - You're The First, Your The Last, You're My Everythingがあれば完璧だけど、着メロはなかったなあ。
この二曲を今晩は聴いています。
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