2002-07-01-(月) 『アドラー心理学入門』 [長年日記]

『アドラー心理学入門』

  • 岸見一郎 1999 『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』 KKベストセラーズ

再読。

アドラー心理学の基本的な世界観は因果論でなくて目的論であることがわかった。

フロイト的な因果論の典型的な例は心的外傷の問題。環境からの強い刺激がのちのちの適応を決定付けるというもの。フロイト的に云ったら、その心的外傷に気づく(洞察する)ことによって問題解決になるのだと思う。

しかしながら、ストレス研究や心的外傷研究で明らかになっていることは、同じ環境刺激を体験しても、その障害の現れ方や強さがそれぞれだというもの。それに対応して、ストレス研究では認知的評価だとかコーピングだとかソーシャルサポートの変数が組み込まれていたり、心的外傷研究では、僕の知る限りではユーモアのセンスなんかも関係しているという。

そうなると、心的外傷論の考え方もある意味妥当性を欠くことになる。現実問題として、池田小の連続殺傷事件におけるあからさまに、必ず心的外傷が起こるかのように対応した学校側やマスコミは、ある意味それ自身が心的外傷が怒ることをを煽っていたように思う。それは、ケアをしなくてもいいという問題ではなくて、問題を重要視するあまり問題が無いのに問題があるようにさせてしまってはいないかと云うことだ。

話がそれた。アドラー心理学は因果論をある意味否定している。人が因果論にこだわるとき、それは責任転嫁だと言う。心的外傷を問題にするとき、人は自分の人生の課題から逃げる口実として使っている。これをアドラーは「人生の嘘」と呼んだ。自分の課題を自分で受け入れないという問題だ。

その目的論をネガティブに捉えるならば、非常に冷酷な世界観だと云える。たとえ何があってもそれを口実にしてはいけないということだ。それは非常に厳しい人生観だ。 しかしながら、それをポジティブに捉えると状況は一転する。例えどんなことがあっても、自分の世界は自分の思考が構築するものであるということになる。世界は変えられるのだ。 何にせよ、今まで僕が学んできた(臨床)心理学とは少しばかり毛色が異なるようだ。理解できていない部分も多い。勉強しなくては。

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