2002-06-10-(月) 兄弟関係をアドラー心理学で考えてみる [長年日記]

兄弟関係をアドラー心理学で考えてみる

僕には一つの懸案が以前からずっとあって、それは弟のことなんだけれども、23の今で無職だと云うこと。もっと以前からいろいろあるのだけれど、プライバシーの問題と云うのがあるから云わないけれど。顕著な問題としては、小さな頃から寡黙な子でプレッシャーがかかると場面かん黙と云ってしゃべれなくなってしまう。

多くをしゃべらない子だから、親や兄としてはいろいろと先回りして考えてしまう。で、その考えや要求が当人の思惑とは違っていて対立してしまう。というか、対立までいかなくて、黙り込んでしまうのだ。

それで、以前大学を休学していたとき、弟の車で病院や図書館に連れて行ってもらう帰りに、職安に行って弟は就職情報を探すのだけれど、どうも要領を得ない。

ずーっと座ってファイルを眺めたりするだけで相談員に相談するなり、求人情報のコピーを取るなり具体的な行動にうつさない。僕が、これはどうだと勧めてもだめ。

一応、昨年まで弟はコンピュータの専門学校に通っていて、それなりの成績と資格を収めているので、僕はプログラマーやSEになるそれなりの知識と技術を持っていると判断しているのだけど、弟自身はすごく自信がないみたいで、探してくる仕事は「誰にでも出来る簡単な仕事です」なんて書かれている工場作業員のもの。

兄としてはやっぱり弟の人生を考えて、工場の作業員(が必ずしも嫌な職業というわけではないが)よりは、それなりに適性のある仕事、本人にとってやりがいのある仕事について欲しいと思ってやきもきする。

この状況をちょっとアドラー心理学で考えてみる。

弟の就職については彼の課題。僕の課題ではない。そして、僕は彼に就職して欲しいと思っていろいろああだこうだ試行錯誤している。つまり、僕は弟を支配しようとしているのだ。共同体という価値概念から、支配はアドラー心理学の方法論とは反するので、僕が出来ることは「お願いすること」だ。弟はそれを断る権利を持っている。

そう考えたら、僕が今までしてきたような、弟に怒り飛ばしたり、強制させたりしたことは随分と悪いことをしていたのだなあと思った。彼の課題は彼の課題。僕は自分の課題をこなしてればいいのだ。そして、彼がサポートを必要としているときに適当なサポートしていればいいのだ。僕と弟の関係はそこで完結するだろう。

問題は両親と弟の関係だ。親としては子どもが自立してくれないと困るけれど、自立を強制してはだめだ。僕の思考はそこで止まってしまう。民主的な関わり方というのはいいことだと思うけれど、人生において自分に科されるべき課題を解決できない弟にポジティブなアプローチがどうも具体的に浮かばず、親が弟に小言を云うことを許している。それはあまり効果的でないように思えるのに。

アドラー心理学では子育てに関するプログラムがあると聞く。そこらへんをもうちょっと勉強してみようかなあ。

でも、弟の課題と自分の課題をはっきり分けることで、僕の気持ちがだいぶ落ち着いたことは確かだ。これで、思うようにならないからといって弟に辛くあたることはなくなるだろう。

でも、これから先、自分は一体何をしたらいいのだという不安感は残る。

そして、僕の行ったアドラー心理学的分析は正しいのだろうか…、ということもかなり不安だが。

BGM : Culture Club - Karma Chamereon

Culture Clubは前から気になってたのだけど、まともに聴いた事がなかった。もう十年くらいも気になってたのに、今更聴くのもなんだけど、市立図書館にあったのでCDを借りてみた。「THIS TIME」というアルバム。ベスト盤なのだろうか。聴いたことある曲ばっかり。80年代のチープな音が心地よくて、リズムについつい乗ってしまう。基本的にカントリー調なのかな。かなり良い感じ。お試しあれ。

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# Nana (2002-06-12-(水) 13:17)

THIS TIMEは良いですよね。私も好きでした。