2002/06/10兄弟関係をアドラー心理学で考えてみる から。当時懸案だった弟の就職は、派遣会社に登録して断続的に工場で作業員をしているという状況だ。まあ、コンピューターを扱う仕事ではないし、正式採用ではないので兄の僕としての願いは十分に叶ったというわけではないが、しかし、仕事に就いているという事実は一年前から考えると比べ物にならない進歩だ。
この一年間、昨年の日記に述べたようなアドラー心理学的援助が出来ていたかどうかはわからないが、最近「怒らない」自分を感じることがある。他人のことで自分が怒ると云うことはメリットが少なく、デメリットが多いと感じるようになった。これはアドラー心理学的な考え方が少しばかり身についたのかも知れない。一番下の弟にも小姑のように小うるさくすることも少なくなった。もう二人とも小さな弟ではなくて立派な成人なのだ。彼らなりの考えがあり、僕が何かそれに対してもの申すときは彼らの立場になって彼らの考えに耳を傾けるようになった。とは云え、そんなことは当たり前で、「彼らの立場になって耳を傾ける」なんてことを云い出すことすら傲慢なように思うが。
一方で、個人心理学とも云われるアドラー心理学だから、僕自身がアドラー心理学的に生きているのかというと、いささか心許ない。自分の課題って何だろう。人生の課題から逃げてないだろうか。逃げる口実作りをいっぱいしていないだろうか。
もっとも、アドラー心理学的生き方っていうそのもの自体をもうちょっと勉強してみる必要があるが。