どう考えてもHTMLのことなど知らないずぶの素人(プロって誰だ?いるのか?)の僕ですが、僕なりに何故htmlなどと書いたのかご説明します。それは、HTMLの拡張子を見るとhtmlと書いてあるからなのですね。考えれば、頭文字をとっているのだから大文字で書くべきなのは明らかですね。
良くわからないのですが、アンカーを置いてくれると僕は納得するような単純な人間です。何となく和みます。癒されます。どうもありがとうございます。
でも、こうあちこちから取り上げられると、なんだかネットアイドルになった気がして、調子に乗ってしまいます。テンパってしまいます。
これでは、議論が「量より質」でなくて軽薄な「質より量」となってしまいます。やたら結束が固くて、主義主張があって硬派で、自分達が迫害されていると云いながら(もちろん、自己弁護せずにちゃんと答えてくれてる人もいて、そういうのは有難いです。有益な議論となります)。物量で攻められると、こっちは友軍もいないので(ともだち少ないなあ…。って、ともだちだからって云って論陣を張ってくれるとは限らないけれど)逆に迫害されている感じで、なんだか僕って可哀想だなあぐすん。
しかし、日本に文化がないと云われると、燻っていた僕の愛国心がめらめらと燃え上がります。じゃあ、いまの日本の文化は日本の文化ではないのですか、日本に人が住んでて、そこで社会生活が営まれていれば、そこに文化が存在するのは必然だと思うのですが。そこにある文化を日本の文化と呼ばないと云われたら、何と呼んでいいのかわからないです。今の「日本」での文化はどう定義されるのか教えていただきたいですyo。
読みづらい日記と議論するのは難しいなあ。こっちは漢和辞典片手に日記を読むなんて面倒なことはできないしね。読みづらいとそもそも意味を取ろうとも思わないからね。というか、文句を云うなら読むなと云われても仕方がないけれど。 闇黒日記平成14年12月14日より
HTML文書のソースを見ていただければすぐにわかる事ですが、私はblockquote要素のcite屬性に、引用元をはつきり明示してをります。これはW3Cが定めた正式な引用の書式です。單に引用文のそばに關係があるのかないのか良くわからないアンカーを置く「一般的」な方式よりも、當方の書式の方が、引用文と出典との關聯を明示する方式としては良いものです。
「闇黒式引用」というのが正しいのか、W3Cなんてそもそも知らないし、知らなくてもhtmlは一応書けてるわけで。正式な引用の書式であろうが、出典との関係を明示する方式として良かろうが、使えないものは使われないのです。それは日本語であってもhtmlであっても言語であれば同じこと。
僕は、引用方式の正当性を主張しているのではなくて、貴方の引用方式だとこちらが引用されていることを知ることが出来ないと云っているのです。そういう意味でフェアーじゃあないと云われたらどう反論しますか(注:現在はリンクしてもらってます。どうもです)。今回はたまたま僕が見ていたからわかったものの、自分が書いている文章がどこか知らないところで論われているのはちょっといただけない。一方で、リンクしてもらっていたら、アクセス解析でもかけていれば少なくとも言及されていることがわかる。自分の文章を言及されることに対して意識している人であればリファラーくらいは確認するでしょうから。
引用文とアンカーに必然的な関係はないってのは、どう考えても屁理屈としか思えません。
私は「讀み易い」とは言つてゐませんよ。讀者が意味を取り易くなるやうに、と言つてゐるぢやないですか。
ってことは、貴方の日記は読み難いという指摘は甘受されるわけですね。「意味を取り易く」してはいるが「読み易く」してはいないと。記述の正しさの為なら読者が辞書片手に読まなければならないという不便さは意に介さないということですか。と、これはいちゃもんですね。読み難いから読み易いようにしろ!という権利は僕には無いし、そういう意味で僕が「読み難い」と指摘したのは傲慢でした。でも、読み易かったら嬉しいなあと思います。なぜなら読みたいから。でも辞書片手は御免こうむりたい。
意味の話と、發音の話とは、レヴェルが違ふのです。そして、音がわかる、と云ふ事は、意味がわかる、と云ふ事とは違ひます。そして、ユーザビリティ・アクセシビリティの話は、「音がわかる」レヴェルの話ではないでせう。
レベルが違いますが、次元が違うと考えれば因果関係は想定できると思います。発音・意味の次元とわかる・わからないのニ次元で考えたら解り易いかな。そうすると、1.“発音がわかると意味がわかる”と、2.“発音がわかるが意味がわからない”と、3.“発音がわからないが意味はわかる”と、4.“発音もわからないし意味もわからない”という四つの場合が考えられます。こう考えると、3の場合の事例は少ないのではないのかなあと思います。そうすると、発音→意味という因果関係を想定できます。
私の表記の場合、辭書をひけば、意味は解る譯ですから、「最低限のアクセシビリティ」は確保されてゐると言つて良いでせう。
そんなの屁理屈でしょう。ウェブを読むとき片手で辞書を持っている人など、多分あまりいないでしょう。それでアクセシビリティが確保されていると思われているのなら、ちょっと僕にはわからないなあ。 そして、仮に同音多義語は必然的に意味を判別できないよ、というのであれば、よほど想像力が貧困なのか神経質なのかどちらかでしょう。普通は自動的に、文脈に沿ったり自分の理解しやすいほうに解釈するはずですから。人間の認知の能力はうまくできているのです。
以前僕は価値観について論争したことがありました。コアなマニアな読者の方なら覚えてらっしゃると思います。僕は、異なる価値観を受容すべきだと主張しました。でも、受容できてないですね。「〜マンセー!」って云っている人たちに対して小一時間問い詰めたいという自分の欲求というのは分析してみる価値があるのかも知れません。
と、ツッコミで現在進行形で行われている議論と、日記での記述は時間差と温度差があるので妥当なのかわかりませんが、ちょっと推敲するエネルギーがないのでそのまま載せますという言い訳。
期せずして日本人と日本文化という問題が昨日のツッコミに取り上げられました。僕は日本人という概念をあまり持っていません。日本人とうアイデンティティを持っていないから。「日本人は〜である」という言葉もあまり信じません。日本の文化というのが何を指すのかも僕はあまりわかりまんが、蒙昧な視点ではありますが、日本の文化は好きだなあと思っています。その文化が持っている基本原則は、「恥知らずな折衷主義」(社会学の用語をこんなとこに出して妥当なのかわからないけど)だと思ってます。ご飯食べ食べパンも食べ。カレーやらシチューやらという料理を好き勝手に創作してしまったり。陶磁器の技術を朝鮮半島から入れたり。独自の文化を作り出すエネルギーには乏しいけれど、他の文化を選択し、吸収するセンスが非常に敏感であると思うのです。
その僕の「文化」というものは現在進行形で不定形な有機的な系をなしているものだと思っています。僕の心の師匠の森毅は、戦後日本は急激に文化について保守的になったと云っています。大昔の祇園祭の山鉾はたいそうモダンだったそう。今に置き換えて考えれば、鳴り物もコンチキチンがリオのカーニバルみたくサンバのリズムになってもおかしくないとか。それが正しいならば日本文化はやはり懐が深い。そういう日本の文化が僕は大好きです。
最近お茶飲んでないです。なんでだろ。なんか微妙に時間が無いなあと思って、くつろげないでいます。心に余裕がないと飲まないなんて、まだ習慣づいていないんだろうなあ。でも、ティーパックの緑茶を飲んでます。緑茶の香料が入ってておえーって感じですが。
* |
ツッコミご入力の際「お名前」欄によろしければ「ハンドル@サイト名」と表記してください。
http://jst-9.com/bbs/bbs/1022093549/l50<br>で「死刑を宣告する」とか「魯鈍」とか書かれて、鬱だ…。<br>やはりwebっていうのはトイレの落書から脱することはできないのか…。
>どう考えてもHTMLのことなど知らないずぶの素人(プロって誰だ?いるのか?)<br><br>HTML等の仕様を考えたり検討したり研究したりしている方々はきちんといらっしゃるのだし、そういう方々はプロでしょう。真面目に習得してそれに準じたウェブサイトを作ることを職業としている方もたくさんいらっしゃる。<br><br>それに、個人でウェブサイトを作っている、専門教育や職業教育もも受けていないけれど自分で勉強したよ、って人たちは多数派じゃないかもしれないけれどかなりたくさんいらっしゃいますよ。<br>視覚的に見つけやすいだろうから例に出しますが、ちょっとその気になってみてみれば、W3CのValidバナーをページにはりつけているサイトを数多く見つけられるんじゃないかな。<br>内田さんの「はじめてのWebドキュメントづくり」<br>http://www.asahi-net.or.jp/%7Esd5a-ucd/www/<br>神崎さんの「ごく簡単なHTMLの説明」<br>http://kanzaki.com/docs/htminfo.html<br>なんかをごらんになってはどうでしょう。30分くらいでひととおり目を通せて、もしかしたら目から鱗が落ちるかもしれませんよ。知らないことを開き直る(あなたの気に障ったらごめんなさい)文章をあれこれ考えるよりまずは学んでみる、知ってみることがより生産的かつ簡単なことではないですか。<br>HTMLを知らないでよいことはないもないし、HTMLを知らないことは当然じゃないし、「みんなもそうでしょう」と趣味でサイト作ってる個人サイトオーナーのみんなにあなたとしては言いたいかもしれないけれど、それもまた一般化できないこと、ってのに気づいて欲しいなと思います。
<br>他人の考えを尊重しつつご自身の意見表明を行いたいのか、あるいは安易な多数決をしたいのか、どうもいずしさんの態度がはっきりしません。野嵜さんの掲示板でも触れましたが、いずしさんの態度は岩城氏がおっしゃるところの「シミン」(「思いやりのある人たちへ」http://www.letre.co.jp/~iwaki/shimin.html)に近いのではないかと思っています。<br><br><br>表記が「新字新かな」であろうと「正字正かな」であろうと、また日本語であろうと外国語であろうと、私はわからない言葉を辞書で調べます。もちろん、文脈上判断できることも多いですが、現在はわざわざ重い辞書を持ち出さずとも、電子辞書で手軽に調べることができますから、煩わしさを感じることはありません。ご自身の気分を社会の代表のようにおっしゃるのはいかがなものでしょうか。<br><br><br>日本語の表記の変遷についてもW3Cについても、「知らない」を連呼なさるのではなく、例えばGoogleのような検索エンジンなどでお調べになってから、お書きになってはいかがでしょうか。その方が読者にとっても有益であると思います。<br><br><br>13日の日記でいずしさんは「ぼくは できるだけの どくしゃに よんで ほしいのですがねえ」とお書きになっていますが、W3Cによる標準化はまさにこのために行われているものです。IEだけでしか読めない、あるいはNetscapeだけでしか読めないというHTMLでは困りますので、W3Cが標準化しているわけです。標準化された規格に対応できないのは、メーカの責任になります。いずしさんがお使いの特定のブラウザにおける振る舞いだけを、一般的な問題の様におっしゃるのはいかがなものでしょうか。
http://pc3.2ch.net/test/r.i/hp/1038911361/114-<br>初めて2chに取り上げられました。
世界中の人々がエスペラント語によって不自由ない意思の疎通を行えるようになるのはいつの日の事だろうかと何となく思いました。
大吉様。いや、僕を素人呼ばわりできる高みに立っている人はプロのことなのかなと思いました。そもそも、プロならアマチュアに教え導くものなのだと思っています。<br>HTMLの仕様を考えたり研究したり、真面目に習得してそれを職業にしているプロはいらっしゃると思います。<br>一方で、そうだからといって、HTMLはその人達のためだけにあるわけではなく。僕が使っているHTMLの文法も、そのプロの人たちから見れば間違っているものなのかも知れないけれど、その文法で通じているコミュニティがあれば、それは一つの「方言」であったり「符帳」であったりするのかも知れません。<br>一方で、その立場から考えると、正しいHTMLというものも、一種の「方言」であり「符帳」であると思うのは、素人の浅はかさかも知れませんね。<br>僕は知らないことを開き直ります。自分が知りたい程度だけ知ればいいと思っています。それは、日本語に対する態度も同じです。日本語を話したい人間は須く文法書の一冊も読むべきである。というのは、確かにそうかなあと思って、僕も勉強しなきゃいけないなあと思う反面、そんなことをしなけりゃ正しい日本語がしゃべれないなら、もっと自由な日本語をしゃべりたいと思います。まあ、でも知っていないということについては羞恥心はもちろん持っていますが。一方で、自分こそは知っている!という態度にも羞恥心が伴って然るべきだとは思いますが。<br>W3CのValidバナーを貼り付けているサイトも見ます。凄いなーとか思ったりします。でもFrontPageとかWordとか一太郎とかホームページビルダーなんかでサイトを作っている人もかなりの数いるでしょう。そんなソフトで作ったら、素人の僕の目から見ても、うわー汚い、と思ってしまうこともあります。でも、そういう人に「お前らHTMLも知らずにサイトを作ってるだろ!」と問い詰めることはあまり生産的でないように思います。むしろ、HTMLを知らずにサイトを持てるということは良いことだと僕は思います。
W3Cの規格が万能ってわけじゃないし、従わなければならないわけじゃないんだけど、W3Cのやり方ってのがまあ標準と言っても構わないと思うんですよ。<br><br>だからW3Cなんて知らないし…というのは自分の無知をさらけ出しているだけだと思うんですが。
それと、貴方を素人よばわりするのはプロじゃなくてもできると思いますが。かなり素人臭がぷんぷんしますし。
su様。安易な多数決をしたなら、「正字正かな」使い派が優勢でしょう。少なくとも、この議論では「正字正かな」使い派の人の言説しか聞きません。そして、彼らの中には、「他人の考えを尊重」していないと思われる記述も多数あります。僕自身は尊重しているつもりですが、ふと感情が湧きあがってしまったり、なかなか他人を尊重することは難しいなと感じています。尊重していないとおっしゃるなら、申し訳ないと思い増す。<br><br>僕の態度が「シミン」なるものと近いとおっしゃいます。<br>http://www.letre.co.jp/~iwaki/shimin.html<br>その定義は以下のとおりです。<br>1.自分が平均的な人間であり、それが好ましいことであると思っている <br>2.多数決を盲信している <br>3.知らない他人と言葉を交わすことを極端に嫌う <br>4.自分たちが常に正しいと思っている <br>5.マスコミ報道や官庁発表は客観的事実だと信じている <br>6.他人の気持ちを想像して理解することが常に可能だと思っている <br>7.気持ちが理解できない相手を、同じ人間とみなさない <br>8.自分がされて嬉しいことは他人にしても必ず喜ばれると思っている <br>9.不愉快なことをしてくる相手には必ず悪意があると考える <br>だそうです。一つ一つ検証して見ましょう。<br>1.僕は自分が平均的な人間だと思ってはいませんが、平均的であるに越したことはないなあ、平均的になりたいなあと思っています。<br>2.多数決を盲信しているわけではないですが、多数決は限られた範囲内の意思の状況を記述する最も優れた方法だと思っています。<br>3.ネットの外では人見知りです。でも嫌ってはいません。気軽に話せたらいいなあと思っています。でも、ネット上ではこうやって知らない人たちと言葉を交わしています。<br>4. 意識的にはそう考えてはいませんが、他人からみたらそうかも知れません。<br>5.恣意的である可能性があることは知っていますが、とりあえず信じてしまいます。馬鹿ですね。<br>6.不可能です。でも、それではかなわんので、ちょっとは出来ると思い込んでます。<br>8.そうであったら楽なのになあと思います。<br>9.必ず悪意があります。悪意ぷんぷんです。そんなつもりなかったのだよ、と云われても許しはしません。とわ云えども、そうとは云ってれられないので、悪意がないという妥当な理由があれば許すと思います。<br>さて、僕は「シミン」なのでしょうか。わかりません。<br><br>物知らずな僕ですけど、辞書片手にサイトを読むのはちょっとなあと、やはり思います。国語辞典はネットのものを使っているのですが、漢和辞典で使いよいものがあれば教えてください。<br><br>日本語の変遷についてもW3Cの規格についても、知らないし、あまり熱心には知りたいとは思いません。でも、それはちょと恥ずべきことかなとは思っています。一方で、日本語の変遷やW3Cを知らなくても日本語を使えたり、HTMLが書けたりすることはすばらしいとだと思っています。<br><br>普段、僕の日記にアクセスしてくれている人のブラウザの約七十%はIEです。ネスケは約十五%、約十%が不明(携帯からかな?)、残り五%がオペラ・Mozillaという感じです。規格の標準化がどれだけ浸透するのかはわかりませんが、うちの読者の現状から見て、IE、ネスケ、オペラあたりで見ることが出来るということを重視しています。もっとも、この三つのブラウザが特定のブラウザだと切り捨てられてしまうのならそれまでです。しかし、規格が必ずしも採用されないという現実はW3Cとやらにあまり影響力が無いのか、メーカーの責任なのか僕には判断がつきません。
ノグチ様。僕は無知をさらけ出します。無知であってもHTMLを書ける社会はすばらしい社会です。一方で無知であることは個人的には恥ずかしいことです。だから、それを指摘されると凹みます。<br><br>まあ、プロでなくても僕の素人さを指摘するのは簡単でしょう。でも、その無知な素人を教え諭すことは難しいようですね。<br><br>「かなり素人臭がぷんぷんしますし」っていう表現は穏やかじゃないですね。素人だということは認めますが。
素光さん。エスペラントのコミュニティというものや、日記書きさんでもエスペラントで書かれることがはありますね。しかし、彼らは実にさわやかにエスペラントを使っているように思います。
<br>無知であってもHTMLが書けるんじゃなくて、有能なプログラマが無知で誤りだらけのHTML文章をうまく解釈してくれるするUAを作ってくれているのです。
×>解釈してくれるするUA<br>○>解釈してくれるUA<br>スマソ
a様。ああ、「無知であってもHTMLが書けるんじゃなくて、有能なプログラマが無知で誤りだらけのHTML文章をうまく解釈してくれるUAを作ってくれている」というのは確かですね。しかも、その殆どが無料だし。僕らはもっと感謝すべきです。<br>でも、有能なプログラマでもW3Cの規格をついつい忘れてしまうというわけですね。
プログラマが規格を忘れたというのは違うとおもう…。<br>そういうブラウザ開発のプロジェクトの方向として(プログラマ個々人は関係なく)W3Cの規格を敢えて無視しているのでは。<br>仕様に厳しいのより、多くの人がwebページを見る/作ることを取ったというのではないかと思います。
su様 ペトロニウス様 全てひらがなの文章と旧字旧かなの文章どちらが読みづらいか、私がそれは旧字旧かなだと判断するのは、まさしくその、知らない語句に出会って「辞書をひく」段階においてのことが大きいのです。web上で初見の語の意味を調べたいと思ったとき、辞書をひく。音がわかれば国語辞典にあたりますが、漢字の読みがわからなければ漢和辞典を選びます。漢和辞典を調べるにはその字の画数と部首をまず調べなければなりません。ところが画数の多い漢字はweb上のフォントでは簡略化されて表示されるのです。たとえば「讀」は、私のブラウザでは最大に表示させても旁の「賣」の「四」に似た部分と「貝」の字がくっついて見えます。これら簡略されたフォントを手がかりに漢和辞書で目的の知らない字を探すのは、ひらがなから国語辞典にあたることに比べると、幾分骨が折れることと思うのです(もちろん世の中には画数の多い漢字も簡略化せずに正しく表示されるフォントとブラウザが存在し多くのPCに標準装備されているのかもしれませんが、寡聞にしてそれがマジョリティだという話は聞いたことがないのです。もし存在するのでしたら、教えていただけると幸いです)。<br><br>いずし様が「よみにくい」と述べるのみで「正字正かな」を廃すべしとは仰っていないのと同様、私も現行の漢字・かな>ひらがなのみ>旧字旧かな、とweb上での読みやすさに優劣はあるものの、だからといって可読性の劣るものは使用してはいけないとは毛頭思っておりません。<br><br>ただ、一時期、内部での文書は全て歴史的かなづかいを用いる法人に出入りしたことがありまして、内部文書は歴史的かなづかい、ただし外部に向けての文書は全て現行のかなづかいと使い分けていたのを目の当たりにした経験上、やはり現代の日本社会においては旧字旧かなは通じづらいもの、という認識があります。知識不足、勉強不足とのご指摘はごもっともですが、博識の方々ならば戦後の国語教育を受けた人間にとってなぜ旧字旧かなが馴染みが薄いかその理由もご存知のはず。その上で「よみにくい」という発言を看過していただけないのは、ずいぶんとあじけないことだなあと思います。
boe様。IEを欠陥品だとは思っていません(セキュリティに関してはそうなのかも知れませんが)。それをあえてW3Cに基づいていないちゃちなブラウザだというツッコミがあったからこのような言い方をしました。僕自身は、「仕様に厳しいのより、多くの人がwebページを見る/作ることを取った」ということは正しいことだと思います。
<br>忘れている例は無いと思います。もしそのような例があるならご提示願いたい。
<br> 残念ながらそういう日は永遠に訪れません。なぜなら、エスペラント語は、全ての人々の母語となるべく発明された言語ではないからです。<br><br> エスペラント語は、異文化(言語)間でのコミュニケーションのために存在する橋渡し言語です。だから、エスペラント語が最大に成功しても、第一外国語の地位しかあたえられません。我々が第一外国語の英語を(必要であるにもかかわらず)どれだけ自由に使用できるかを考えれば、エスペラント語の行く末もおのずと知れようというものです。<br><br> いつの時代でも、「エスペラント語によって不自由ない意思の疎通を行える」人は、「英語によって不自由ない意志の疎通を行える」人よりも、確実に少ないでしょう。<br><br><br> というわけで、私ならば、エスペラント語よりも英語の習得をおすすめします。もちろん、そちらの方が功利的だからです。<br><br> 現在世間にまったく通用していないエスペラント語を学ぶ人たちは、エスペラント原理主義です。日本で少なからず生きた言語として使用されている(短歌、俳句等、詩歌の世界では、正字正かな使用が基本です)正字正かなを「原理主義」とさげすみ、イデオロギーの産物にすぎないエスペラント語を称揚する、不思議な感性をお持ちの人たちがつどうところですね、ここは。
>Akimbo(窪田顕範)さん<br>>正字正かなを「原理主義」とさげすみ、イデオロギーの産物にすぎないエスペラント語を称揚する、不思議な感性をお持ちの人たちがつどうところですね、ここは。<br><br>ええっ、ここってそんな人が集う場所だったんですかっ!? それは私も初耳です。<br>少なくとも私は旧字旧仮名を蔑んだ記憶もエスペラント語を称揚した記憶もありませんし、いずしさんの発言も同種だと思っていたのですがもしかしたら違ったのでしょうか。なかなか難しいですね。
どうも違うようです。自分が思っていることよりも、自分が書いていることの方が自分をよくあらわしているということでしょうか。難しいのです。
Fumiさん、はじめまして<br><br><br>と前回お書きになられてゐたので、其れを受けて書きました。かな文の音韻は追へても語句としての意味が理解できなければ通じないと言つてゐるのです。例へば、別ち書きの概念を理解できない人が読んだらどうなるかと云ふのも考慮すべきですよね。結局は「旧字」が読めず理解出来ないと云ふのと同じ事です。又、普段の場面でも意外と「旧字」に出くはす事があります。證券とか慶應とか鐵道とか、全く読めないと云ふ事は無いと思ひますがどうでせう。<br><br>表示される文字が小さい場合は、win-IEをお使ひならば「表示-文字のサイズ-最大」を選べば大きく出来ます。又、ウィンドウズなら附属のIMEで漢字の音訓を当る方法もあります。パソコンはもつと便利に使つたはうが賢明だと思ふのですが如何でせう。<br><br>更に、歴史的仮名遣で表記する場面と「現代仮名遣い」で表記する場面とを使分けをするのは、何等不思議な事ではないと思つてをります。私も使分けは行つてをりますが、流石にかな文は書いた事がありません。
ペトロニウスさん、こんばんは。<br><br> 年内に、忘年会しませんか。酒、煙草ありの。
いずしさんはHTMLを書いているのか、それともウェブサイトを作っているだけなのかいまひとつよくわからないので、なんともいえないんですが。<br>「正しいHTML」をとりあえずW3Cの仕様に従ったHTMLの文書だとすると、それはアクセシビリティはやっぱり高いのです。どのようなUAを用いても読める。音声で読み上げる装置を使っていても、まず問題なくいけるだろうと思う。<br>正しくないHTMLで書かれた文書はそうではありません。<br>どちらがよりアクセシビリティが高いかは明らかで、たくさんのひとに読んでもらおうと思えば「正しいHTML」で書くに越したことはないのです。<br>多くの人が汚い誤ったHTMLで書いているから別にいいじゃないか、ってのはまた別の話でしょう。用いているひとの、通じる人の数の多少とその物事そのものの正しさとはまったく関係ない。ここでいろいろな方が書いているとおり。<br><br>それから<br>HTMLはだれにでも開かれていて、だれでも手軽に知識を得ることが出来ます。率直に言うと、少しでも勉強してみればかなりあなたの今の認識は変わると思う。<br>先のツッコミで紹介したサイトをきっとごらんになっていないのだろうけれど、いつかこだわりを捨てて、読んでみてくださるといいなと切望します。<br><br>知っていることを鼻にかけて知らない人間を馬鹿にするのはいかがかと思うと同時に、知らないことを根拠なしに開き直ることも同じく醜いことだと思います。<br>HTMLをそれなりに独学で勉強しているあなたと同じ素人を、あなたの言動は愚弄しているような気がすらしますよ。<br>HTMLについて懇切丁寧に教えてくれてる、プロの作ったサイトだってたくさんあります<紹介したサイトなんか、そうですね。
大吉さん、関東圏にお住まいなら、ペトロニウスさんと三人で飲みませんか?
大変申し訳ないのですが、管理人やそこで行われている議論と全く関係のない私信は、管理人権限で削除させていただきます。当方の掲示板にメールアドレスを書き込まれるなどしてメール交換で私信のやりとりをして頂けたらと思います。
失礼しました。以後気を付けます。
いずし様およびFumi様。失礼ながら、まとめてお返事させていただきます。表記の問題もブラウザの問題も数(というかシェア)を根拠にご意見を展開されるのは、もうおよしになってはいかがかと思います。それこそ「シミン」的な考え方ではないでしょうか。<br><br>最初に申し上げておきたいことは、私が「正字正かな」使いではないということです。単に「読みにくい」という個人的な意見の表明に留まるのでしたら、いずしさんの前に私は出て来ませんでした。しかし、あたかも読者も同じ考えであるかのように、社会を代表した意見であるかのように「読みにくい」とおっしゃるのには、拝読して強い違和感を感じました。<br><br>いずしさんやFumiさんからもご指摘がありましたが、私たちは義務教育で「正字正かな」を習うわけではありません。つまり、「正字正かな」をWebサイトでお使いの方は何らかの努力を払い、独学で身に付けた方がほとんどではないかと想像します。「きゅうじげんりしゅぎ」だの「ひらがなで かいてみたく なったのです。よみにくいでしょう。これとおなじく……」だのは、確かに「使用してはいけない」という意味ではありませんが、ずいぶんと人を馬鹿にした物言いだと私には感じられました。「正字正かな」をお使いの方が反論するのも当たり前だと思います。英文でWebサイトを作っていらっしゃる方(私のサイトも一部のページは英文です)にも、ひらがなの方が読みやすいと主張されますか? あるいは、逆に世界の多数派は英語や中国語だから、英語や中国語をWebで使うべきだと? そうでしたら、私は断固として反論するつもりです。<br><br>次に、ブラウザとマーク付けの問題ですが、ソフトウェアはメーカが見限らない限りにおいてヴァージョン・アップが期待されます。blockquoteのcite属性が現在のIEで認識できないとしても、将来的に認識できるようになるかもしれません。現在の多数派のブラウザにあわせたマーク付けよりも、標準とされるマーク付けを選んだ方が、将来的にHTMLを書き直す必要がないのではないかと考えます。また、音声読み上げ型ブラウザや検索エンジンのロボットなどもHTMLファイルを読むUAです。事実上、Web製作者がすべてのUAを試すことは不可能ですから、標準的な規格に合わせてマーク付けすることで、問題が生じるケースがもっとも少なくなることを期待できる理屈になります。ちなみに、私はiCabというブラウザを使うこともありますが、いずしさんのご判断によれば、無視されてもよいということになってしまいます。あんまりではないですか。<br><br>表記の問題にしてもブラウザの問題にしても、少数派を切り捨てるのではなくて、お互いを認めあう方を、私は良しとしたいです。<br><br>ご質問の漢和辞典ですが、現在なら日本語入力プログラム(WindowsではIMEというのでしょうか?)の文字パレットで読みをお調べになった方が、お手軽ではないでしょうか。と、書いておりましたら、ペトロニウスさんからも同様のご指摘がありました。私の使っているEGBridge(Mac版)では、再変換機能を使うことで、熟語なら簡単かつ正確に読みを調べることができます。あれこれお試しになってみて下さい。もっと便利な方法に気づかれましたら、ぜひ教えていただきたいと思います。<br><br>最後に、無知よりも恥ずべきことは怠慢だと思います。物事に通じている方が、生まれながらにして通じているわけではありません。自戒を込めて。
>いずしさん<br>正しい・正しくないの問題ではなくて、礼儀とか心遣いの方に主張をシフトさせた方がいいですよ。<br>そうでないと細かい矛盾点を見つけて袋叩きにされますから。<br><br>正直、運が悪かったとしか言いようがない・・・。(←どうせこれも「3点リーダ使え」とか言われるんだろーなー)<br>ご愁傷さまです。
tdiaryなら、http://www.tdiary.net/howto.rhtml#pluginsの引用文生成(bq)を第三パラメーターまで入れて使うとcite属性がちゃんと入った上でリンクも付くので正しい引用はこれで解決。多分。
su様 ペトロニウス様 レスありがとうございます。<br><br>旧字が現代も用いられる件、もちろん当方も承知しておりますよ。なにせ私の本名は異字体字、旧字、人名漢字と珍しい漢字ばかりで咄嗟に三文判が買えず苦労しておりますので。ちなみに私の母校は正式名称が旧字表記でしたので、「固有名詞であるから書類提出や履歴書作成の際は『○○大學』とすべて旧字で書くように」と、教員・職員に口を酸っぱくしていわれた思い出があります。というか、どちらで誤解されたのかわかりませんが、私は旧字旧かなの大部分は読めます。そのうえで、web上ではわかりづらい部分があると主張させていただいていたつもりなのですが、どうも舌足らずだったようですね。相すみません。<br><br>けれど、やはり画数の多い漢字を簡略化せず正しく表示できるフォント或いはブラウザというのはないのでしょうか? 私の知らないだけですでに世に広く普及しているのでは、こちらには現在博識な方がお集まりのようですし、もしや教えていただけるのでは…との期待があったのですが。ペトロニウス様にご指摘していただいたブラウザの文字のサイズを大きくするという方法は私も日ごろから利用していますが、残念ながら、最大にしても簡略化されて表示されるのです。<br><br>卒論の一次文献として江戸・明治期の木版印刷の書物を読みこんだ折、わからない字が頻出しても画数や部首から漢和辞典ですぐに調べられたことと比べると、web上で知らない旧字に出会うとずいぶん難儀するなあという印象は拭えません。<br>ただ、お二方に教えていただいたIMEをつかって調べる方法は、少々煩雑そうですが少なくとも音はわかりそうですね。音さえわかれば国語辞典にあたれますので、以後活用させていただきます。御教授ありがとうございました。<br><br>それにしても、漢字を簡略化して表示してしまうというのは、現在のシステムの限界なのでしょうか。前述の通り、珍しい字の名を持つ身としては、自分の名前ひとつ画面上にまともに表示できないのは口惜しいことです。卒論執筆時もPCで古い文献を引用する際、散々に苦労しました。なにかよい対処法があると良いのですが…。
>Fumiさん<br>WindowsのIEは文字の大きさを5段階にしか調節できないようですが、NetscapeやOperaなどはかなり自由に大きさを調節でき、10倍くらいまで大きくすることも可能です。<br>或いは、ワープロソフトやエディタでフォントを大きく調節しておいて、読めない字をブラウザからコピー&ペーストして見る、ということもできるかと。TrueTypeフォントであれば、ある程度大きく表示すればどのフォントも正確な字体を表示できると思います。<br>(議論に直接関係ないコメントですみません。>いずしさん)
三日ぐらい前からよい解決策はないか考えていました。<br> 解像度の悪い表示デバイス(携帯電話も入るかも)のために、正字体のコードも略字で表示するフォントを作成するのがよいのではないでしょうか。<br> もとより、略字というのは、手書き文字で正字を書くのが煩雑なために使われたものです。たぶん筆記スペースの問題もあったでしょう。正字は場所を取ります。<br> コンピュータの画面上で正字がつぶれてしまうならば、思い切ってフォントを略字にすればよろしい。<br> そうすれば、正字でサイトを作っている人たちは今の通りでよいし、略字しか読めない人はそのフォントを使用すればよいでしょう。かなづかいはしょうがない、おぼえてもらうのがよいと思いますが。<br> そのうち、コンピュータの画面上に正字がつぶれずに表示されるようになったら、フォントをさしかえ、思う存分辞書をひく。どうでしょうか。<br> 問題は、そのフォントを誰が作るかですが、そんなツールないかしら。
Akimbo様。氏のご意見とは多少異なりますが、「正字正かな−略字新かな」変換フォントがあればいいですね。もっとも、「略字新かな」は理由はわかりませんが、「正字正かな」より記述が正確ではないらしいので、やはりそれも難しいのではないのかなあと思います。
北村さん。横レスですが。<br>ブラウザのフォントを10倍にしたり(一体画面に何文字表示できるのかしら)、ワープロやエディタにペーストしたりして、ユーザー側に負担をかけなければ、判別できないのなら、OSの仕様が悪いのか漢字表記が現実に即していないのかどちらかなのではないかと思います。<br>まあ、日本の多様な文字文化を保存するなら、「トロン」を使うしかありませんなあ。正直な話。
>いずしさん<br>先の書き込みは議論に加わることを意図してのものではなかったので、そのような「レス」を頂いたことに少々困惑していますが……<br><br>「10倍」というのは単にブラウザのおおよその能力限界を書いたまでで、通常なら2倍程度でも潰れない表示は可能と思います。そういう意味では余計な情報だったかもかもしれません。<br><br><br>Fumiさんの書き込みを拝見した限りでは、或る特定の(画数の多い)文字について、辞書等で調べるために正確な字体表示を見たい、という話のようでしたので、そういう特殊な場面においてちょっとした操作を行うのは、負担というほどのものではないと思いました。<br>また実際の操作についても、先に挙げたブラウザではプルダウンメニューからの選択・或いはキーボードショートカットで手軽に行えますので、「字が潰れていたときにちょっと拡大してみて、すぐ戻す」という感じで簡単に操作できると思います(必要なら、あらかじめデフォルトの文字表示を大きくしておくことも可能です)。<br>ちなみに、*判別*という点では、自分は普段ディスプレイ上で文字を読む時には、字画の細かい部分までを注視していない(多くの方もそうだと思うのですが)ので、自分が知っている字については、多少潰れていても判別・区別に困難はさほど感じていないです。<br><br>そもそも、「ディスプレイ上で画数の多い文字が潰れて表示されてしまう」というのは、単にディスプレイの解像度の限界によるものと思います。通常は一文字に十数ドット四方くらいしか使われていないため仕方がないことではありますが。OSは、いま存在する機器を操作することしかできないわけで、文字の表示についてOSに責任を負わせるのは筋違いという気がします。また、ディスプレイ上の漢字の表示のみを見て「漢字表記が現実に即しているか」を判断するのは早計であるように思います。<br><br>「日本の多様な文字文化を保存する」ことについては、こちらで行われている議論にも、先の自分の書き込みにもあまり関係ないと思いますので、コメントは控えます。
Hello! Good Site! Thanks you! nowjmxgxwk
http://m4.sekidou.com/2002/12/15.shtml<br>M4 (メディア批評日記)<br>一瞬にして遙かな道程を踏破する秘術<br> 2002年 12月 15日 (日) 闇黒日記 平成14年12月15日 の文中に 「ウェブを読むとき片手で辞書を持っている人など、多分あまりいないでしょう」(ただしこの一節の出自は 胡桃の中の航海日誌(2002-12-14)) という一節を見てふと「そうでもないのでは?」と考えた。 僕は文章を読む際にしばしば辞書を手に取るし,まして文章を書くとなるととても辞書なしで済ませることはできない。...